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旅立ちを前に

お久しぶりです。松本時代です。

2026年3月1日より、また新たな旅に行くことにしました。

そこで旅立ちを前に、これまでの作品を少し振り返ってみようと思います。

 

①電車は止まらない 2018〜2020年

バングラデシュで、列車の屋根に登って無賃乗車で移動する貧困層が、新しい電車(MRT-6Line)の開通に伴い、法規制によって、屋根の上からいなくなるまでを、僕自身も400回以上屋根に登り、歴史の転換期を撮影した。

 

②エンゲレンプライン/天使と過ごした真夏のクリスマス 2022〜2023年・2025年

南アフリカ、ヨハネスブルグ郊外、街の外れにぽつんとたつ丘の上の白人スラム。人はその場所を侮蔑の意味を込めてWhite squatter camps/白人不法占拠キャンプ と呼ぶ。孤立した場所にあるからこそ、そこにいたのは、まるで天使のように純粋な心を持った子供たちだった。そんな彼らの、少年と大人の狭間の、青年期特有の微妙な感情な揺れ動きを、クリスマス前後の数ヶ月にかけて撮影。尚、今現在も彼らとの関係は続いており、彼らが大人になるまで見届けるつもりだ。

 

③crawling on the desert(砂漠を這う) 2023年

モーリタニアで、鉱山で採れた鉄鉱石を700キロ先の港まで運ぶ世界一長い貨物列車、通称アイアントレイン。列車の全長は2〜3キロにも及ぶ。列車の中継地点にムスリムの聖地があることから、この列車は、巡礼者が聖地巡礼に向かう際の移動手段としても機能している。そんな列車を、巡礼者を聖地へと案内する伝説の怪物と見立て、そんな怪物が砂漠を這う様子を写真で表現した。

 

④Walking North with Migrants 2024年

北米を目指す中南米の移民と共に、1ヶ月半かけてメキシコ国内を北へ向かって2000キロ旅をした。祖国に別れを告げ、覚悟を決めた移民たちが旅の道中見る景色は言うならば希望の景色。そんな彼らと実際に行動を共にし、彼らの見たものを撮影することで、彼らの「希望」そのものを写真に写そうと試みた。

 

・・・・・・・・・・・・

たったこれだけのことをするのに、丸8年かかりました。

もちろん僕は経済的に余裕があるわけではないので、3つバイトを掛け持ち→金が貯まったら旅→帰国後すぐにバイト・・・の繰り返しで8年ですが。

毎回危ない場所に行ってるよね、と、人からよく言われるのですが、僕としては、危険な場所に絞っているつもりはなくて、その都度いちばん興味のある場所に行っていたら、結果としてそうなりました。

じゃ、なんでそんな場所にわざわざ行くのかと聞かれれば、辺鄙な場所や、過酷な環境にいる人、危険を犯してでも自分の人生を変えようとしている人、変わり者と言われても何か強い信念がある人・・・僕はきっとそういう社会の隅っこにいる人に、いつも興味があるのだと思います。そしてそんな小さな世界に住んでいる人々の、日々の些細な、小さくてもかけがえのない幸せを知った時、僕も同じように幸せを感じます。そしてそんな時、自分も、普段自分の周りにいる大切な人を、もっと大切にしようと彼らから学ぶんです。

しかし、そんな場所でシャッターを切っただけでは、まだそれは、写真であっても、作品にはなっていません。

僕は写真機を(そしてセレクト、編集する行為を)濾過する装置のように考えています。僕が彼らから教えてもらった大切なものを、今度は別の誰かに伝えるために、不純なものを取り除き、自分が見て感じた大切な部分を抽出することではじめて「作品」になるのだと思っています。ありがちな例えですが、ダイアモンドも原石の状態ではまだ価値はなく、削ってカットを出していくことで本当の価値が生まれる感覚と似ていますね。

また、僕は毎回の旅で、自分自身の青春時代を、シチュエーションを変えて何度もやり直しているようなところがあります。僕は10代の前半、ずっとひとりぼっちでしたので、その辺りの記憶がぽっかりと抜け落ちています。覚えているのは毎日仲間が欲しいと切望しながら、ずっと本を読んでいました。今でも頭のどこかにその時の記憶がこびり付いていて、もしかしたら、だから僕は毎回新しい場所に行って、新しい人と出会い、関係を築いていくことで、自分の失った何年かを取り戻そうとしているのかなと思ったりもします。

先ほど、偉そうに写真のことについて語りましたが、実は、僕はたいして写真が上手じゃありません。謙遜じゃないです。ほんとに下手なんです。毎回、自分にがっかりしながら24年も写真を続けています。しかしそんな僕のような凡な才能の写真家でも、魅力的な写真が撮れる唯一の方法があります。それは、五感が極限まで研ぎ澄まされている時です。治安面でも、環境面でも、サバイブしなければ、ただじゃ済まない環境。ポケットからタバコを出す仕草さえ、常にどこかから視線を感じるくらいヒリヒリするようなそんな場所で、魅力的な人を探し、仲間になり、且つその場所でカメラを出してシャッターを切る。そんな時に不意に、自分の本来の実力を飛び越えることがあるのです。

エリオット・アーウィットという写真家がいます。

僕はずっと、彼の作品世界のような、奇跡みたいな瞬間は、僕には一生訪れることはないんだろうなと思っていました。

(エリオット・アーウィット)

 

2022年、南アフリカでの撮影中、僕はスラムの中にある、ある家の、窓を撮っていました。言ったように、周りはヒリヒリするような環境です。なぜかは分かりませんが、その窓を撮らなくてはいけないような気がしたんです。危険を犯して窓を撮る。妙な気分でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

すると突然

 

彼らがひょっこり窓から顔を出しました。お兄ちゃんは生まれたばかりのピットブルの赤ちゃん2匹を抱えている。

エリオット・アーウィットきたぁあ!!!!

全身の毛が逆立ち、構図とかブレなんてもうどうでもよくなって、僕はヨダレを垂らしながら無心でシャッターを切りました。

そういった瞬間こそが自分の感情も一緒に写真に写せた瞬間とでも言いますか、自分の実力を飛び越える方法で、それは意図して出来ることではありません。そしてなかなかどうして、そんな瞬間は簡単には訪れませんし、意識しようとしても同じように集中することが出来ません。

だから僕はまた、そんな旅に出るのでしょう。

先ほどは否定しましたが、そういった意味ではたしかに僕は危険中毒になっているのかもしれません。

今興味のあることを、今精一杯やりたい。

ただそれだけなのですが・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな挑戦も、今年で9年目になります。

また、3月1日から新たな旅に出ることにしました。

今回も例によって無理ゲー案件です。

でもそこに、新しい出会いがあるような気がしてならないのです。

 

 

僕のはじめての書籍の発売が決まりました

 

ついに発表できる日が来ました。
松本時代初の書籍『電車は止まらない』が2022年3月末日より全国の書店に並びます。

(といっても新人作家ですので大きな本屋さんなどでしか取り扱われないと思いますが、そういうのも、単館上映から始まる映画のようでワクワクしています)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

気づけば
写真を初めて20年、ようやっとこれが僕のデビュー作です。

 

デビュー作

・・・・・はて

そう言ったものの、デビューとは何をもってデビューというのか。

これって写真家だけの話じゃないですよね。絵描きだってバンドだって料理人だって芸人だって、全ての作り手にとって、デビューといえるのはいったいいつなのか。今の時代は特に、そのスタートラインがかなり曖昧ですよね。
例えばTikTokで自作の歌を何気なくアップしたらいきなりバズって2、3個の動画だけでフォロワーが何十万人まで膨れ上がったなんて話はザラに聞くわけで、それじゃあ、その人のデビューははじめてTikTokに自分の歌をアップした日を指すのか。写真家と名乗る人にしても、今はインスタグラムなどのSNSから火がつく人の方が圧倒的に多いわけで、仕事はしていなくても、「プロより影響力のある素人」が沢山いるので話はややこしい。
まさに個が力を持つ時代ってやつですね。
なんなら最近は、大手メジャーレコード会社の新人ミュージシャン発掘オーディションの応募要項にだって
「SNSのフォロワー◯万人以上の方のみ応募してください」
なんて書いてあったりします。
要するに、売れるか売れないかも分からない余計な在庫を抱えるつもりはない、まずは採算が取れるくらいの価値を自分で付けてから来てくださいねってことです。
それを見て、新人を育てて売れる商品にしていくのがお前らの仕事だろうが!って怒れるワナビーの気持ちも分かるし、そんな余裕ねーんだよ!最低限自分を磨いてから来いやっていう会社側の気持ちも分かる。
そもそも個人で何十万人もフォロワーを付けられるほど実力のある人が、レコード会社に所属する必要があるのか、という疑問もある。

そんな中で、昭和生まれの古い考えの僕には、やっぱりデビューといえば、バンドマンなら街のCDショップに自分の名前がクレジットされたCDが並ぶ、写真家なら、自分の著書が本屋さんに並んだ日。これがデビューなんだという考えが体に染み込んでいまして、だから、もちろん僕もSNSで日々情報の発信はしているものの、写真家としてまずは自分の作品を出版社から流通させたい、と、これまで出版社に数多くの作品持ち込みをしてきて・・・
・・・気づけば僕は38歳のオッサンになってました。
だいぶ予定は狂ったけど、写真を始めて20年、おっさん、ついにデビューします。
ヒーローは遅れてやってくる。それにしても遅れすぎた。

僕の作品に商品としての価値があるのか、それは正直、今の自分には判断しかねます。
だけど、そんな僕に賭けてくださった出版元である芸術新聞社の皆さんには感謝しかありません。
実は、最初にこの作品を僕が芸術新聞社に持ち込んだのは去年の一月のことで、そこから一年以上かけて、僕の作品に親身になって、時には連日深夜まで及ぶ編集作業にも向き合ってくださいました。
結果、今の僕にはここが限界、というところまで作品を仕上げることができたと思います。実力以上のものができたところもあれば、最後まで納得いかなかった部分もある。でもきっと、それも含めてこれが今の自分の実力なのでしょう。この経験が、今後もっと僕を大きくしてくれると信じています。

 

帯の推薦文を書いて下さったリリー・フランキーさん。僕には贅沢すぎる言葉、本当に感謝しています。帯の言葉をいただいた経緯などについては、多くは語らないつもりです。リリーさんと僕では知名度に差がありすぎるので、自分の売名のためにリリーさんを利用するような真似だけは絶対にしたくないので。
だけど、今まで「いいか?背伸びするな、時代」ってずっと言われてきたから
「良い写真じゃん」ってはじめてリリーさんに褒められたとき、あぁ、間違ってなかったんだと心から安心しました。

あかん、書いてて泣きそうだ。

 

デビュー = つまり、まだここはスタート地点なのですが、今は最終入稿も済ませ、ようやく作業もひと段落し、少しだけホッとしています。だけど、休んでいる暇なんて僕にはないのです。ここからさらに飛躍していくためには、今の自分をぶっ壊さなくては先に進めないことは分かっています。

僕はやります。バカだけど自分を信じてこれからも前に進み続けます。
皆さん、僕の今を、そして僕のこれからを、応援してください。
まだまだこんなところじゃ、松本時代は止まらない。
これからもよろしくお願いします。

 

amazonで購入する場合のリンク先

https://amzn.asia/d/defhjuK

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「電車は止まらない」写真・文 松本時代

販売元 芸術新聞社
定価2.300円(+税)

帯/推薦文 リリー・フランキー
『世界の隅々で、人々は逞しく生きている。そして、この写真は、世界の片隅で、凄じく生きている』

プロモーションビデオ/♪BGM 中込陽大「ステップ」
映像制作 松本時代

■内容■
高度経済成長期ド真ん中にあるバングラデシュ首都ダッカで、貧困層が電車の屋根の上に乗って移動する文化が、法の規制により無くなるまでの一年半を、作者自身も電車の屋根に400回以上登り、歴史の転換期を記録した作品。「貧困層」と呼ばれる彼らと共に、屋根に乗って旅をした写真・エッセイ集

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松本時代、ユーチューブ始動!!

 

 

■■■■■■■■■■ご報告■■■■■■■■■■

 

この度、ユーチューブチャンネルを始めることにしました!!

 

パチパチパチパチ!!!!

チャンネル名はその名も

『松本時代の時代事務所』

 

オープニング動画なんかも作っちゃったりして、開始早々ブチ上がること必至の内容になっているので騙されたと思って1回覗きに来てくれぃ!!!!

 

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それにしても

気づけば丸3年も放ったらかしにしてしまっていたこの 3億円ブログ。

365×3=1095

い、1095日だと、、、?

ズボラな自分を殴り倒して、2頭の馬に両足を紐でくくり付けてリーバイスしてやりたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(リーバイス)

 

 

この3年

 

2018〜2021年は、実に色んなことがあった。

まず一番は海外での写真作品制作を本格化させたことを挙げたい。興味の赴くままに一人で19カ国ほど回って、知らなかった価値観や文化に触れる機会を自分に設けた。中でもバングラデシュでの作品制作には1年半という長い期間を費やした。1つの作品を完成させるまでに1年以上もかけるなんてことは自身初めての経験だったし、それだけの時間をかけたことで、ようやく作品に説得力が生まれたように思う。間違いなくこれまで作った中で最高傑作だ。その作品は、2021年の年末か2022年にようやく発表できる予定なので、偶然でもこのブログを見てくれている人はどうか楽しみに待っていてほしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2つ目に、2年半前に始めたバンドのことを。

そもそも自分には写真家が自分に一番向いていると思っているから18歳から写真を軸に活動を続けているのだが、それだけでは表現しきれない、両手からこぼれ落ちていく感情をどうにか消化できないものかと考えた結果 辿り着いたのがバンド活動だった。人前に立って、自分が普段思っていることを曲にして絶叫する。これほどまでにストレートで純粋な表現方法は他にないだろう。

(僕は現在に至るまでによしもと所属のお笑い芸人として活動していた過去や、小説を書いていたことなどからも分かるように、表現活動全般が好きなのだと思う)

それに、1から曲を作って、メンバーを集めて、練習をして、ライブをして、プロモーションをして、レコーディングをして、リリースをして、、、という一つ一つのプロセスを経て完成させていく『バンド』という、決して一夜漬けでは完成し得ない運命共同体を経験することにもずっと興味があった。

ただ、僕は音楽の道一本で日々切磋琢磨して頑張っている友人をたくさん知っているから、彼らの大切なフィールドで自分が適当にやっている姿を見せるのはあまりにも失礼だ、と、バンドを始めるにあたっての準備として下手くそながらも必死こいて1年で200曲ほど作った。そして僕の考えに賛同してくれて集まったメンバーと毎週同じ時間に集まってたくさんたくさん練習をして、、、そうして出来上がったうちの何曲かは、4人の力を合わせることで自分一人では到底届かなかったところまで到達することができたと思う。

 

 

僕を信じてついてきてくれたメンバー。だけど、もちろんバンドは各々違う考えを持った人間の集まりで、それぞれの熱量は決して同じではない。互いの温度差がだんだんとずれ始めたのはいつからだろう。もしかしたら最初の一つ目からボタンをかけ違えていたのかもしれないが。。その結果今年2021年の3月をもってサイドギターとドラムが脱退することになり、やむなく述べ2年続けたバンド活動を止めることになった。思い返せば、僕は知らないうちに僕と同じ努力を彼らに強いていたのかもしれない。それは、何かを表現することには責任が伴うってことを、僕は成功こそしていないが痛いくらい知っているからだったのだけど。

いくつか、幸運にも僕らに興味を持ってくれていた関係者がいたりして今止まるのは非常に残念だが、僕が見ているビジョンをしっかりと彼らに伝えることができなかった自分に責任があると思う。メンバーが付いてこれなかったんだと、彼らを批判するつもりは全くない。

「何かでっかいことを一緒にしようぜ!」

そんな簡単なことを共有することすらままならないなんて、バンドって、始めるのは簡単なのに続けるのはなんて難しいんだろう。

ただ、まだ諦めたわけじゃない。僕はやると言ったらやる男。

機を待って、またいつか誰かと共に大きな声で叫ぶ日が来ることを望んで、今はしばしのお別れだ。

 

・・・・・

 

そろそろ自分の人生を変えてやろうと全財産100万円をかけて写真作品を制作し挑んだコンテストで見事に落っこちて全財産失ったのもこの3年の内だ。コンテストに破れた115個の写真作品は今も六畳一間の自宅の押し入れを占領している。いつかそれら全てを焼き捨てて、その炎でバーベキューでもしてやろう。100万円のバーベキューは一体どんな味がするのか楽しみだ。きっと僕は咀嚼しながらむせび泣くのだろう。

 

流れ星が流れて、でっかいジャンボジェット機が星を追うように頭上を飛んでいくミラクルな光景を見た日に、なけなしの金で買った2020年の年末ジャンボ宝くじ3万円分はしっかり外れていた。まったく、パチンコの確変前の演出みたいなことしやがって、すっかりその気になっちまったじゃねーか。2度と買わねー。

 

長い間世話になっていた仕事先がコロナウィルスの影響で潰れたのは今年の4月。なんとかなるでしょ精神の楽観的な僕なのでメンタルは全くもって大丈夫だが、周りの仲間にはたくさん心配をかけたと思う。今は別の職にありついて、のほほんと暮らしているから安心してくれ。

 

3年

 

そして、今回のユーチューブ始動である。

自分のチャンネルさえあれば、写真もバンドも小説もお笑いも、これはこれ、あれはあれ、とジャンルで分けることなく発信できる。つまりユーチューブという新しいジャンルを始めた、というより自分がこれまで、そしてこれからやっていく活動を一つにまとめる、そういった感覚でユーチューブを始めることにしたのだ。

ただ、知ってもらえない限り閉鎖的で自己満足な空間になり得る、ということを懸念しておかなければならない。知らねー奴の知らねー挑戦になんて誰も興味がないからだ。そういった意味で間口を広げるために、サムネイルをポップに作ったり、動画内では難しい言葉は極力使わないよう心がけたりと、まだまだ研究とブラッシュアップを重ねる必要がありそうだ。

ユーチューブはあくまでホームだ。

格闘家、朝倉未来のユーチューブチャンネル

プロフィジーク選手JINのユーチューブチャンネル

みたいに

写真家、松本時代のユーチューブチャンネルである。

だからこそ、ユーチューブを知ってもらうことよりも前にまず第一として、自分の軸である『写真』を、もっともっと上のレベルで活動していけるように改めて気を引き締め直し、その結果、ユーチューブが僕の(そしてみんなが集まれる)ホームになればいいなと思っている。

というわけで、これからもまだまだ諦めず色々と挑戦していく所存であるので、どうぞみなさんよろしく!!!!

 

 

 

次の更新が3年後でないことを祈って。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年 6月29日 松本時代

 

 

 

 

 

第45回 雪にまつわるエトセトラ、の巻

 

 

ようやく雪が止んだでごんすなー。(久しぶりの更新で語尾がなんだったか思い出せない)僕のマンションの前も20cmは軽く積もっていたでごんすが、なんとか無理やり自転車で職場に向かおうとした結果、案の定盛大にずっこけて悶絶したでごんすよー。そんな日に限って着ていたのはお気に入りのフリースジャケットで、破れた左肘を見た瞬間涙が溢れたでごんすよ。。。

 

 

 

 

 

 

思えば3年前の、今ぐらいの時期に東京は大雪で、深夜に当時好きだった女の子が新宿で電車が止まって動かず帰宅難民になってるってラインをもらって、ここであの子を新宿まで助けに行ったら僕ヒーローじゃん!って思った瞬間家を飛び出して、大雪が降る中、大量のホッカイロをコンビニで買いこんで新宿駅まで走って向かったもんさ。(僕の最寄りの路線も止まっていたから新宿駅まで行く手段が自分の足しかなかった)

シャバシャバの雪の中、スニーカーをぐちょぐちょに濡らしながら1時間かけて新宿駅まで走って、息を切らせたままラインしたさ。あぁしたさ。

 

「○○ちゃん、お待たせ!今どこ?」

 

そしたら

 

「あ、5分くらい前に電車動き出しましたー!」

「・・・」

 

新宿駅には、大量のホッカイロを持った僕だけが残ったってわけさ。

 

・・・なんだかなー、僕ってばこういう星の下に生まれたんだろーなー。こんなのばっかり。

大雪の中、一人ぼっちの甲州街道は車すら1台も走っていなくて、鼻水垂らしながら大声でエレファントカシマシの「さらば青春」を歌って帰ったのを覚えてる。

懐かしいなー。

だけど、もしも3年前のあの雪の日に戻れたとしても、あの子がいない新宿まで僕は走って迎えに行くぜ。

僕から一生懸命を取り上げたら何にも残らないのだから。

 

よっしゃー、今年もよろしく!!!!

 

 

 

第44回 松本時代の自撮り術、の巻

 

さてさて、相も変わらずやっております。インスタグラムで毎日投稿の自撮りシリーズ。

よくもまぁ2年以上も毎日毎日続けたもんです。

作った総数はなんと

2万枚

を超えました!パチパチパチ。

最初は、ギャルが毎日SNSにアップしている自撮り写真のように、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(こういうの)

 

SNS上で、自分を本来の自分より『盛って』アップする写真に影響を受けて、自分も自分を盛った写真を毎日アップしていこうと漠然と始めたものが、毎日毎日多いときで1日500枚くらい撮っていると、どんどん写真は進化していって、、、、

 

最初は

 

 

 

 

 

 

 

 

これくらいだったのが

 

 

2年間毎日続けた結果

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今や自分の原型がなくなるまで進化しました 笑

 

色んな画像をコラージュして1枚にする形に進化していった経緯としては、自撮り写真を撮る時にどうしても発生してしまう「そもそも自分はモデルとして優れた被写体ではない」という問題を埋めるためのもので、極端に言えば、例えば僕がつんく♂さんが大好きだとして、つんく♂さんっぽく自分を撮ったって、自分という素材が優れていなければ、どう頑張ってもつんつくさんにしかならないでしょう。笑

 

 

 

 

 

 

 

 

(つんつく)

 

せっかく本当の自分を飛び越えて、SNSで理想の自分になるのだからそれが、誰かの劣化版のものまねであってはいけないのです(つんつくさんを批判しているわけではない)

本物じゃないと!

カート・コバーンみたいになりたいなら、カート・コバーンと同じ髪型にしてモヘアのカーディガンを着て満足するのではなく、カート・コバーンのアティチュード(精神的概念、信念)を読み取らないと!

だから自分をモデルにして撮影するにあたり、自分の理想に近づけるためには

「自分に足りていないパーツを、何か別のパーツで補填する必要があった」

というわけで

それが、色んな画像をコラージュする形につながったわけです。

 

 

と、まぁなんだか小難しい話になりましたが

2年間も続けたおかげで、写真に触れる機会が増えたぶん、以前より写真技術が上達したように思います。それだけでもこれをやっている価値があった。やっぱり、続けることって大事だ。

 

というわけで自撮りシリーズもまだまだ続けていきますので

引き続き応援よろしくお願いします。

 

 

 

第43回 社長、久しぶりにブログを更新する!の巻

 

 

前回の更新から実に

1年半

も、更新をご無沙汰していたこちらの3億円ブログ。今回ホームページのリニューアルに伴って、毎日とは言わずとも、もう少し更新の頻度を上げなければ!と重い腰をヨッコイショした次第で候。

1年半。

こんだけ空いていればそれなりに色々あった。

地球で一番可愛いと噂される僕の姪っ子もずいぶん成長した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大いなるパワーには大いなる責任が伴うってスパイダーマンでベンおじさんは言っていたけど、時代叔父さんもほんとそう思う。彼女はとてつもなく可愛いって才能を持って産まれてきてしまった。

彼女がこの先、中学生くらいになった時、飲みかけのペットボトルを「飲む?」って渡したならば童貞男子レベルなら『か、間接キッスゥ!!』という衝撃に耐えられずに口をつける前に跡形もなく弾け飛ぶだろうし、逆に彼女を振り向かせようとして童貞が放ったギャグに、彼女が何気なく口をついた「なにそれ、つまんな〜い」はギガデイン級のトラウマを童貞に与え、その哀れな童貞は一族末代に至るまで一生まともな恋愛のできない体になってしまうだろう。そればかりか彼女が放つ、たった1度のクシャミで彼女から飛散した唾液の結晶は下手したらそれ自体がビッグバン。つまり宇宙を形成しかねない。アニメ『まどかマギカ』で最後に主人公まどかがそうであったように彼女自体が物理的構造から「概念」になりかねない。・・・と、ここまで書いて叔父さん自分が何を言いたいのかよく分からなくなってきたよ。

つまりなんだ、彼女がこんなに可愛くすくすくと育ってくれた時間の分だけ彼女の叔父さん、つまり僕、松本時代はブログの更新をサボったのだと考えると自分のズボラ加減に吐き気がするってこと!

こんなんじゃ姪っ子に嫌われちゃう!

「叔父さん、嫌ぁ〜い!」

 

 

いやだ、嫌われないでくれ!!!

 

 

 

 

 

第42回 情熱で突破した男、の巻

 

 

あるところに一人の芸人がいました。

裸にテンガロンハット、ブリーフ一丁という奇天烈な出立ちで、わけのわからないことを叫ぶだけの芸風にほとんどの人がこう吐き捨てました。

『あんなものはテンションだけのキワモノ芸だ』

それでも彼は諦めませんでした。なぜならお笑いが好きだったから。

二十年以上! 評価されなくても、彼はずっとずっと芸人を続けました。相方が辞めても、親友と別れても、事務所を辞めても。なぜなら自分の考えた面白いことで人が笑う姿を見るのがたまらなく好きだったから。

そしてどれだけ馬鹿にされても何度も這い上がり、2016年 春、彼はついに誰もが無理だと言ったことを成し遂げました。それはまるでドラマ。なんと彼は日本で一番面白いピン芸人に選ばれたのです。

 

 

2年前の秋のある日のこと。その頃、芸人を辞めるかどうか迷っていた僕はこう思いました。

(一番お笑いを愛している人の姿を見れば、何か答えが見つかるかもしれない!)

場所は中野の小劇場。あいにくの大雨に客席はパラパラ。一番後ろの席についた僕。

暗転。出囃子。テンガロンハットブリーフ一丁といういつもの格好で「ぶっ殺す!!!!」なんて、またわけの分からないことを言いながら彼は登場しました。

 

ギャハハハハハ!!!!!!!!!!

 

ふと周りを見渡すと、みんな腹を抱えて笑ってました。うんことかちんことか酔っぱらいとか、街のヤバいおじさんのモノマネとか、下品極まりないネタばかり。だけどお客さんみんながよじれるように体を動かし、ヒーヒー言いながら心の底から笑ってました。これまで色んなお笑いライブを見てきた中で、ここまで一人一人が涙を流して笑っている姿を見たことがあっただろうか。。

毎日を窮屈に生きる人たちの発散、代弁、救済・・・それは笑うこと。

そして僕は気付きます。「笑い」って単純でいいんだってことに。

・・・

終演の挨拶。ステージに上がったスタッフたちに囲まれて、彼はまだギャグを続けます。

時計を見るともうとっくに終演時間は過ぎていて、それでも何度も何度も彼はギャグをやり続けます。

司会進行の芸人さんが言いました。「雨の中、こんなにお客さんが集まってくれてこの人、嬉しくて帰りたくないんだね」

彼はその芸人さんの言葉に返事もせずに、ギャグを、ギャグを、ギャグを!!!!!!!

 

僕は逃げるように劇場をあとにしました。中野ブロードウェイのアーケードの中をバイク置き場まで走りながらひとつのモヤモヤが僕を包みます。

(僕は彼ほど笑いが好きだろうか?)

ブンブンと首を振ってモヤモヤをかき消して、すっかり雨の上がった環状七号線をバイクをぶっ飛ばして家に帰ったことを覚えています。

・・・

それから2年経ち、現在。

誰よりもお笑いを愛する男が、今年日本で一番面白い芸人に選ばれました。

テレビで彼が優勝する姿を見て、涙がこぼれました。

 

 

 

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ハリウッドザコシショウさん!!!

面識はありません。だけど、僕もかつては同じ事務所でお笑い芸人の端くれだった男。同じ、とは、とてもとても言えませんが、せめて当事者だった身として心の底からお祝い申し上げます。

もしも「なんでハリウッドザコシショウのネタ見て感動すんねん」なんてヤジを飛ばす奴がいたら僕はそいつを許しません。

カッコイイってのはこういうことを言うんだよ。テメーわかってんのかコラ。

 

さて、全ての芸人よ。

この人がついに日本一になってしまったぞ。優勝から一番遠い所にいた人が情熱で優勝してしまった。

 

もう一度言う。

情熱で優勝したんだ!

 

もう小細工は何一つ通用しない!!

 

僕も全てに溶けるほどの情熱をもって頑張っていかないと。

 

 

 

感動をありがとうございました。

 

 

 

 

第41回 R1ぐらんぷり2016 2回戦大阪の巻

 

その日は朝からどこかいつもと違っていた。

めずらしく目覚ましをセットした時間の10分前にパッチリと目が覚め、もはや毎日の習慣と化している頭痛からくる吐き気がまったくなかった。いつも寝る前にどこに置いたのか忘れて途方にくれるド近眼の眼鏡も布団の中から手を伸ばした先のコーヒーテーブルの上でなんなく見つかった。大阪に向かうため朝早く乗った東海道新幹線は運良く右側の窓際の席が1席だけ空いていて、車窓からは雪化粧の富士山。晴天。i podで再生をシャッフルにして最初に流れ出したのは、かつて寝床を共にした朋友、毛皮のマリーズの1stアルバム『戦争をしよう』より「YOUNG LOOSER」。(若者の持つ漠然とした不安に、君は間違っていないと呼びかける名曲だ)。車内販売で回って来た女の人は丸顔で小柄でぽっちゃりした女の子。僕のど真ん中どストレート。ケチな僕がコーヒーを買った。苦いから嫌いなはずのコー ヒーは、ただの食わず嫌いだったのか案外いけた。出番前に梅田駅付近の工事現場?に忍び込んで本番さながらの声量で練習していたら、近隣の住人に警察に通報されてあわや出場することすら危ぶまれたが、これから本番で使う『40秒で世界一周』と書かれたフリップボードを見て警察官のおっさんが数秒黙ったあとに「・・・深いな」という言葉を出たのを聞いて、完全に時は来た!と僕は悟った。

これ完全に確率変動前の過剰なリーチ演出やん!ドデカい大当たりが、間近に迫っている!

もしかしたら僕今回のR1ぐらんぷり・・・優勝するんとちゃうの?

するんとちゃうの?→するかも→するはず→いや、するに決まってる!!

やっと、時代が来たのだ!8年かかってようやく来た!時代が!いや、ジェダイが!!!

そうなるともう、出番が待ち遠しくて待ち遠しくて、早くオレを舞台に出させろと心が踊って押さえきれない。

出囃子が鳴ったと同時に右足でおもいきり地面に蹴って僕はステージに飛び出した!

「松本時代です!!!コントーーー!!」

 

結果・・・惨敗。

 

全く時は来ていなかった。

 

あっはっは。

 

あーはっはっはっは!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

また負けた。9年闘って9回とも負けた。

言い訳はゼロ。全力を出し切った、そしてボロクソに負けた。

2008年 1回戦敗退

2009年 1回戦敗退

2010年 2回戦敗退

2011年 2回戦敗退

2012年 準々決勝敗退 なんばグランド花月

2013年 1回戦敗退

2014年 1回戦敗退

2015年 2回戦敗退

2016年 2回戦敗退

 

・・・もう・・どうすっかな・・・答え出てんじゃん。

 

ふさぎ込みそうになった時、いつも僕は頭の中で何度もこの言葉を繰り返します。

 

ccc

 

 

 

 

 

 

第39回 最後の挑戦

 

もう出ることは一生無いんだろうなぁ、と思っていたのだけど、やっぱり挑戦することにしました。

R1ぐらんぷり2016。(ピン芸人の日本一を決める大会)

 

昨日もバイト帰りに早朝、カラスがカーカー鳴きながらゴミ袋をあさる渋谷センター街の汚ねー道を自転車でふらふらと漕ぎながら

「写真、お笑い、小説、、、僕、、、色んなことに手を出した結果、全部中途半端になっちゃってるな」

なんて考えて、胸が締め付けられたのだけど、それでもやっぱり挑戦しないことを選択すれば、きっともっと苦しくなるから、それなら、苦しみが少ないほうを僕は選ぶことにしました。

2008年からずっと出ているR1ぐらんぷり。戦績は

 

2008年 1回戦敗退

2009年 1回戦敗退

2010年 2回戦敗退

2011年 2回戦敗退

2013年 3回戦(準々決勝)敗退

2014年 1回戦敗退

2015年 2回戦敗退

 

くそぅ、なんてショボい戦績なんだ。これでよく続けたもんだ。

今大会に出るにあたって、しばらく舞台には上がっていないから1回戦負けも大いにあり得るわけで、舞台上でスベっている自分を想像して布団の中で震えています。

 

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僕は手がしわしわです。

学生時代に、暗室で使う写真プリントの薬品をずっと素手で触っていた頃から治りません。皮が伸びちゃったのかな。よくわからんけど。

でも、それだけ夢中になれたんだよ。いや、もしかしたら意地を張っていただけかもしれない。これしかないんだ、と思い込みたかっただけなのかもしれない。

毎日毎日撮影して暗室で現像、プリントの繰り返し。

だって、写真が人生で初めて人に誉められたことだったんだもの。

誉められて、嬉しかった。それだけで今に至るまで写真に関わってる。

 

「お前はおもしろい」

そう言ってくれたのは誰だっけ。もう忘れてしまった。でも、その時の一言がきっかけで僕は芸人の道の扉を開けた。

単純だと思うようね。  その通り。僕は誰よりも単純だ。おもしろい → なら芸人だ!って。わはは 超単純。

笑いの才能? そんなものはこれっぽっちもない。そんなの芸人始めた1年目で分かってた。僕は単純だけど馬鹿じゃないから。

「これで最後にするから・・・」 自分に言い聞かせる。

最後 最後 最後 最後 最後、これで最後・・・

だから最後に、意地でも、嘘でも、こう言ってやる。

 

 

僕は、おもしろい!!

 

 

 

 

 

第38回 鋲ジャンを作る理由、の巻

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ふとしきっかけから鋲ジャンを作ろうと思い立った。

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僕は昔からモットーにしていることがある。それは『話したいと思う人が現れたら、それがどんな人であっても会いに行く』というものだ。直接その人から何かを吸収したいのだ。

それが話したことのない人でも怖い人でも、話したいと思ったら即行動を心がけている。その人が著名人であったならば事務所に電話をかけてアポを取ってでも張り込みをしてでも会いにいく。だから、今会いたい人に、今会える確率が一番高い場所として僕は東京に住んでいるのだ。そんなことばかりしている内にこんな社会的に何の価値もない32歳のダメ人間になってしまったわけだが。

最近気付いたことがある。会えたとて会うだけではダメ、ということ。まずファーストコンタクトで相手が僕に興味を持っていない状態だからだ。相手からしたら突然会いにきた変な奴だ。

だから、バカと思われてもいい。こいつ狂ってるのか?と思われてもいい。相手が思わず「一体何なんだお前は笑」と、相手が自分に興味を持つ「きっかけ」を作るために、今回僕は鋲ジャンを作ろうと思ったのだ。

 

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土台にしたのはストレッチの効いたブラックの襟無しGジャン

鋲のジャケットといえば革のライダースジャケットを想像する人が大半だと思うが、あえてGジャンを土台に選んだのはクラストコアというパンクロックのジャンルの人たちが好んで着用するタイプのジャケットに影響を受けたからである。少しそっちに知識がある人が見ても「お、分かってるねぇ〜」と頷くくらいマニアックに掘り下げることが大切だ。

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シルクスクリーンインクをジャケット全体に塗りこんでコットンに合皮っぽさを出していく。

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乾いたらお気に入りのバンドの布パッチやバッジの位置を決めて糸で縫い付けて

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絶対に必要な箇所から12mmコニカルスタッズを打ち込んでいく。

小さめの10mmコニカルスタッズは袖や襟などのポイントポイントで使用することでグッと完成度が増すぞ。メモしておくように。テストに出るぞ。

一列一列のバランスを見ながら慎重に打つことが大事だぞ。一気にやって後でバランスが悪いことに気付ても取り返しがつかないぞ

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そして

出来上がったのがこちら!

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裏はまだスタッズの爪が剥き出しで何か裏地を付けなきゃだからまだ完成とは言えないけど。

(背中にDISCHARGEの白ペイントも考え中。ペイント絵の具はリキテックスとかがいいのか?)

裏地を貼るまではしばらくの間

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Gジャンを重ね着すればいいかと思ったんだけど・・・こ、これ、めっちゃオシャレやね!!!!

 

 

さて、これを着て 会いたい人に会いにいくぜ!!!

 

Am I Punk Yet ?

 

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