お久しぶりです。松本時代です。
2026年3月1日より、また旅に行くことにしました。
そこで、旅立ちを前に、これまでの作品を簡単に振り返ってみようと思います。
①電車は止まらない 2018〜2020年までの1年半
バングラデシュ首都ダッカで、列車の屋根に登って無賃乗車で移動する貧困層が、新しい電車(MRT-6Line)の開通に伴い、法規制によって、屋根の上から姿を消すまでを、僕自身も400回以上列車の屋根によじ登り、走る列車の屋根の上から歴史の転換期を撮影した。
②エンゲレンプライン/天使と過ごした真夏のクリスマス 2022〜2023年・2025年
南アフリカ・ヨハネスブルグ郊外。街の外れにぽつんとたつ丘の上の白人スラム。街の人々は侮蔑の意味を込めてその場所をWhite squatter camps/白人不法占拠キャンプと呼んでいる。まわりと孤立した丘の上という場所にあるからこそ、そこにいたのはまるで天使のように純粋な心を持った子供たちだった。治安面から、子どもたちは一人で丘を下りることを許されていない。クリスマスを前に、丘の下に広がる街に興味を抱き始めた少年たちの、青年期の微妙な感情な揺れ動きを数ヶ月にわたって撮影した真夏のクリスマス作品。尚、今現在も彼らと彼らの保護者との関係は続いており、僕は彼らと関わった責任として、子供達が大人になるまでしっかり見届けるつもりだ。
③crawling on the desert/砂漠を這う 2023年
モーリタニア。鉱山で採れた鉄鉱石を700キロ先の港まで運ぶ世界一長い貨物列車、通称アイアントレイン。列車の全長は2〜3キロにも及ぶ。中間地点にムスリムの聖地があることから、この列車は、巡礼者が聖地巡礼に向かう際の移動手段としても機能している。何もない砂漠、ガタガタの線路の上をもたつきながら体を揺らし、汽笛を上げる列車を、巡礼者を聖地へと案内する伝説の怪物と見立て、そんな怪物が砂漠を這う様子を作品で表現した。
④Walking North with Migrants 2024年
北米を目指す中南米の移民と共に、2ヶ月かけてメキシコ国内を北へ向かって約2,000キロ旅した作品。移民にしか見れない景色がある。灯りをつけて歩いてはいけない場所。列車の屋根から見た郊外の墓場。どうかすべてうまくいきますようにと各々が神に祈り、貨物列車に飛び乗る。これらはドキュメントではない。僕は彼らと行動を共にすることで彼らの「希望」を写真に収めようとしたのだ。
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たったこれだけのことをするのに、丸8年かかりました。
もちろん僕は経済的に余裕があるわけではないので、3つバイトを掛け持ち→お金が貯まったら旅→帰国後すぐにバイト・・・の繰り返しで8年ですが。
よく人から、毎回危ない場所に行ってるよねと言われるのですが、僕としては、危険な場所だけに絞っているつもりはなくて、その都度いちばん興味のある場所に行っていたら、結果としてそうなりました。
じゃ、なんでそんな場所にわざわざ行くのかと聞かれれば、辺鄙な場所や、過酷な環境にいる人、危険を犯してでも自分の人生を変えようとしている人、みんなから変わり者と後ろ指を指されているアウトサイダー・・・僕はきっと、そういう社会の隅っこにいる人にいつも興味があるのだと思います。そういう人たちが誰よりも繊細で、面白くて、誰よりも優しいことを知っているから。そしてそんな小さな世界に住んでいる人々の、日々の些細な、小さくてもかけがえのない幸せを知れた時、僕も同じように幸せを感じます。そんな時に自分も、普段自分の周りにいる大切な人をもっと大切にしようと彼らから学ぶんです。
しかし、そんな場所でシャッターを切っただけでは、まだそれは、写真であっても、写真作品にはなっていません。
僕は写真機を(そしてセレクト、編集する行為を)濾過する装置のように考えています。僕が彼らから教えてもらった大切なものを、今度は別の誰かに伝えるために、不純なものを取り除き、自分がその時見て感じた大切な部分を抽出することではじめて「作品」になるのだと考えています。ありがちな例えですが、ダイアモンドも原石の状態ではまだ価値はなく、削ってカットを出していくことで本当の価値が生まれる感覚と似ていますね。
また、僕は毎回の旅で、自分自身の青春時代を、シチュエーションを変えて何度もやり直しているようなところがあります。僕は10代の前半、ずっとひとりぼっちでしたので、その辺りの記憶がぽっかりと抜け落ちています。かすかに覚えているのは毎日本当の友達が欲しいと切望しながら、ずっと本を読んでいました。今でも頭のどこかにその時の記憶(というより残像?感情?のようなもの)がこびり付いていて、だからもしかしたら、僕は毎回新しい場所に行って、新しい人と出会い、関係を築いていくことで、自分の失った青春時代の何年かを取り戻そうとしているのかなと思ったりもします。
先ほど、偉そうに写真のことについて語りましたが、実は、僕はたいして写真が上手じゃありません。謙遜じゃないです。ほんとに下手なんです。毎回、自分にがっかりしながら24年も写真を続けています。しかしそんな僕のような凡な才能の写真家でも、魅力的な写真が撮れる唯一の方法があります。それは、五感が極限まで研ぎ澄まされている時です。治安面でも、環境面でも、サバイブしなければ、ただじゃ済まない環境。ポケットからタバコを出す仕草さえ、常にどこかから視線を感じるくらいヒリヒリするようなそんな場所に一人で赴き、魅力的な人を探し出し、仲間になり、且つその場所で高価なカメラを出してシャッターを切る。ほぼミッション・インポッシブルです。そんな時に不意に、自分の本来の実力を飛び越えることがあるんです。
エリオット・アーウィットという偉大な写真家がいます。
僕はずっと、彼の作品世界にあるような、奇跡みたいな瞬間は、僕には一生訪れることはないんだろうなと思っていました。
2022年、南アフリカでの撮影中、僕はスラムの中にある、ある家の窓を撮っていました。言ったように、周りはヒリヒリするような環境です。なぜかは分かりませんが、その窓を撮らなくてはいけないような気がしたんです。危険を犯して窓を撮る。妙な気分でした。
すると突然
彼らがひょっこり窓から顔を出しました。お兄ちゃんは生まれたばかりのピットブルの赤ちゃん2匹を抱えている。
エリオット・アーウィットきたぁあ!!!!
全身の毛が逆立ち、構図がどうとか 設定がどうとかそんなものどうでもよくなって、僕はヨダレを垂らしながら無心でシャッターを切っていました。
そんな瞬間こそが、自分の感情も一緒に写真に写せた瞬間とでも言いますか、自分の実力を飛び越える方法で、しかしそれは意図して出来るものではありません。そしてなかなか、そんな瞬間は簡単には訪れませんし、同じような場所で同じように意識しても、同じような写真は撮れてくれません。
だから僕はまた、そんな旅に出るのでしょう。
先ほどは否定しましたが、そういった意味ではたしかに僕は危険中毒になっているのかもしれません。
興味のあることを、精一杯やりたい。
ただそれだけなのですが・・・
そんな挑戦も、今年で9年目になります。
また、3月1日から新たな旅に出ることにしました。
今回も例によって無理ゲー案件です。
でもそこに、新しい出会いがあるような気がしてならないのです。

































